プロデューサーKです
私は2003年大会から担当しています。野口みずきが優勝した大会で、彼女はこの優勝をきっかけに世界へと飛躍していきます。 ゴール後に、野口選手が一生懸命誰かに携帯電話をしている姿が今も脳裏に焼きついています。藤田監督とともにワコールを退社してからスポンサーが決まるまで大変な苦労があったからでしょう。携帯をなかなか離しません。藤田監督も、よほどうれしかったのでしょう。ミックスゾーン(報道エリア)で記者を相手に喋りまくり、時計をみたらもう4時前。「監督、そろそろパーティ会場行きのバスがでます」と私が話しかけるまで、延々と話し続けていました。
◆参考◆ 大阪国際優勝(世界選手権代表に)→世界選手権2位(アテネ五輪代表に)→アテネ五輪優勝
2003年大会の2着は千葉真子、3着は初マラソンの坂本直子で、ゴール前600㍍で千葉が逆転。野口のほか、千葉、坂本も世界選手権に出場し、それぞれ3位、4位の好成績。この時も、千葉は40㌔すぎで坂本を抜き去り、銅メダルを獲得します。しかし、野口が千葉より先着したため、千葉の五輪代表内定は持ち越しとなりました。
◆参考◆ 世界選手権のメダリストで日本人1位の選手は五輪代表に内定(今回は土佐選手がこれに当てはまります)
五輪代表選考会となった2004年大会では、千葉と坂本が三たび対決。さらに渋井陽子、弘山晴美、大南博美らが加わり大激戦に。高橋が東京国際(選考会)で2位に甘んじたことから、五輪代表の座を賭けた大会は、世間から大変注目を浴びました。
レースは、ペースメーカーがおらず有力選手が牽制しあったことから、スローペースで展開。30㌔で坂本がスパートして独走、2位の千葉に2分以上の大差をつけて優勝し、五輪代表の座を得ました。ゴール前の芝生で、大型ビジョンを観ていると、隣にいた小出監督(当時、千葉を指導)に「千葉ちゃんはよく頑張ったけど、こういう星の下に生まれたんだなあ」と話しかけられたのを思い出します。
◆参考◆ アテネ五輪代表 野口みずき(世界選手権2位)、坂本直子(大阪国際女子優勝)、土佐礼子(名古屋国際女子優勝)、補欠・千葉真子(世界選手権3位、大阪国際女子2位)
私は2003年大会から担当しています。野口みずきが優勝した大会で、彼女はこの優勝をきっかけに世界へと飛躍していきます。 ゴール後に、野口選手が一生懸命誰かに携帯電話をしている姿が今も脳裏に焼きついています。藤田監督とともにワコールを退社してからスポンサーが決まるまで大変な苦労があったからでしょう。携帯をなかなか離しません。藤田監督も、よほどうれしかったのでしょう。ミックスゾーン(報道エリア)で記者を相手に喋りまくり、時計をみたらもう4時前。「監督、そろそろパーティ会場行きのバスがでます」と私が話しかけるまで、延々と話し続けていました。
◆参考◆ 大阪国際優勝(世界選手権代表に)→世界選手権2位(アテネ五輪代表に)→アテネ五輪優勝
2003年大会の2着は千葉真子、3着は初マラソンの坂本直子で、ゴール前600㍍で千葉が逆転。野口のほか、千葉、坂本も世界選手権に出場し、それぞれ3位、4位の好成績。この時も、千葉は40㌔すぎで坂本を抜き去り、銅メダルを獲得します。しかし、野口が千葉より先着したため、千葉の五輪代表内定は持ち越しとなりました。
◆参考◆ 世界選手権のメダリストで日本人1位の選手は五輪代表に内定(今回は土佐選手がこれに当てはまります)
五輪代表選考会となった2004年大会では、千葉と坂本が三たび対決。さらに渋井陽子、弘山晴美、大南博美らが加わり大激戦に。高橋が東京国際(選考会)で2位に甘んじたことから、五輪代表の座を賭けた大会は、世間から大変注目を浴びました。
レースは、ペースメーカーがおらず有力選手が牽制しあったことから、スローペースで展開。30㌔で坂本がスパートして独走、2位の千葉に2分以上の大差をつけて優勝し、五輪代表の座を得ました。ゴール前の芝生で、大型ビジョンを観ていると、隣にいた小出監督(当時、千葉を指導)に「千葉ちゃんはよく頑張ったけど、こういう星の下に生まれたんだなあ」と話しかけられたのを思い出します。
◆参考◆ アテネ五輪代表 野口みずき(世界選手権2位)、坂本直子(大阪国際女子優勝)、土佐礼子(名古屋国際女子優勝)、補欠・千葉真子(世界選手権3位、大阪国際女子2位)