大阪国際女子マラソンの舞台裏

 産経新聞、サンケイスポーツ、関西テレビから集まった事務局関係者が裏話や感動秘話、普段の仕事や日常を綴ります。  事務局は毎年11月1日から1月31日まで、産経新聞大阪本社事業局内に開設されます。広報や渉外、警備、計測、式典、車両、交通、選手交渉、営業などの担当が在籍。このほか沿道整理員や審判員、ボランティア、警察官、ガードマン、沿道のみなさんなど多くの方々に支えられて大会を運営しています。 (旧ブログ http://marathon.iza.ne.jp/blog/)

2006年12月

大阪国際女子マラソン公式サイト→http://www.osaka-marathon.jp/

クリスマスの代償

  クリスマスで無惨にも敗れ去ったI西です。あれから一週間。まさかこんな寂しい形で、大晦日を迎えることになるとは予想だにしませんでした。先週末のクリスマス、大枚をはたいて買い与えたプレゼントを手に、満面の笑みを浮かべていた彼女たちは何処へいったのでしょうか。今頃何をなされているのか。あの時の笑顔が憎らしい。あれから、一切の連絡もありません。マジで。小生のクリスマスは何だったのでしょう・・・。費やした十数万円は何の効力も発揮せず、紙切れとなったようです。やはり、金で愛は変えませんね。

 前事務局員のS氏が、小生のブログを非常に楽しみにしているとのこと。S氏を含め、このブログをお読みの男性諸君に言いたい。

 「飛び込め、そう深くはないだろう」

 今回、小生はこの格言を実践し、「えい、やー」と飛び込んだところが、まさに深みにはまってしまったというわけです。しかし、長い潜水からようやく浮上し、再び息継ぎができるあたりまできました。このチャレンジ精神で来年も乗り切りたい。いや、’’あらゆるところ’’に飛び込みたいと思います。

 前置きが長くなりましたが、マラソン事務局での仕事も1カ月を切りました。広報担当のU氏によれば、「年明からレース当日まで、本当にあっという間」だそう。また、1月は連休などもあり、実質的に業務に関わるのは思う以上に少ないそうです。マラソンにたとえるなら、折り返し地点を過ぎ、ラストスパートに備えているあたりでしょうか。これまで以上に気を引き締めたいと思います。
 クリスマスのように、失敗するわけにはいきません。
 それでは皆様方、良いお年を。 

男って生き物は…

 更新が遅くなりました。広報Uです。当番日を忘れていたわけでは
ありません。だが、しかし、きょうは晦日の30日。朝から家庭での雑務に追われ、なかなかパソコンのスイッチをオンに出来なかったわけです。ホントは会社でいろいろまだやることがあったんですが、お正月ですから仕方ありません。
 ところで、パソコンの電源のマークってイメージできますω 独特ですよね。あれって数字の「0」と「1」を組み合わせたものらしいですね。パソコンなどデジタルの世界は「0」と「1」の二進法。たった2つの数字で膨大な情報を処理するわけです。デジタル派になれないアナログ人間の私にはまったく理解できませんが、とてつもなくスゴいことくらいはわかります。でも、「0」と「1」だけで語れないのがスポーツの世界。選手の数だけあるドラマはプロセスも結末もサプライズの連続です。これから本番が近づくにつれ、出場選手には強烈なプレッシャーがかかってくるだろうけど、これもまたアスリートならではの特権というか醍醐味。頭の中の取材メモにもこんなフレーズが残っています。
 「もう重圧に耐えられないのが理由なんですかω 私には分からないなぁ。プレッシャーがあるから楽しいんじゃないのかな。それを味わうために毎日の厳しい練習があるんだし、期待されなくなったらおしまいでしょう。逆に私はそれがやめる理由になるかもしれない」
 発信者はスケート界の女王として君臨していた現役時代の橋本聖子さん。シンクロ女王・小谷実可子さんの現役引退の感想を求められたときのコメントです。

 小谷選手は期待に応える自信と気力がなくなったと引退の道を選び…
 橋本選手は重圧があるからこそアスリートとしての充実感が味わえると話してくれました。

 かなり古い話ですが、橋本選手の言葉は強烈に頭に残っています。今でこそ「プレッシャーを楽しみたい」的な発言をしている選手は多くなったけど、20年近く前の話。しかも、女性選手ですからね。
 
 最後は精神力の勝負になるわけですね。どれだけ強い気持ちを持続させることができるのか…。実力者が勢ぞろいする1月28日の大阪国際女子マラソンも、このあたりが感動ドラマの隠し味になるでしょうね。
 さあ、もうすぐ勝負の2007年。我々、事務局員もいよいよ臨戦態勢に突入します。

年末年始も…


プロデューサーKです


28日夕、弊社でも納会が行われていましたが、その後もマラソン事務局員は働き続け、29日午前1時現在、事務局次長のI藤、チーフプロデューサーのK彦、そしてK山が勤務しております。

朝は冷え込むという予想ですが、小生はK山と、スーパー遊軍のTODOさんの3人で、午前9時から杭全交差点-湯里6丁目の沿道の各家庭、事業所に交通規制チラシを持ってお願いに参ります。

広報のUアニキは年末まで刷り物類や調整に追われていますし、Y田Kは自分の事務所に仕事を持ち帰り徹夜。

みんな昼間は、各種交渉で忙しいので、深夜に作業をせざるを得ない現状です。

しかし、オッサンになるにつれて体力がなくなってきているのがわかります…

うちの事務局員は、みんな不健康 です。走られるみなさんは健康そのものですが。

『第9』じゃなくて『運命』!?

はじめまして、準構成員・営業担当のMです。イニシャルの通り“ド”のつくMかどうかはさておき、mixiの日記はつけるくせにブログはこれがデビューとなりました。

そもそも事務局会議に出席後、何気なく事務局のボックスに貼ってある「ブログ担当カレンダー」の12/28に自分の名前を発見したのが運のツキ。それまで一言もオファーらしきものも無く、「これってオレ書くんスかぁ?」と半分冗談で強面スポーツデスク・O形さんに聞いてみたところ、

「あたりまえじゃ。」

と暖かいお言葉

覚悟を決めて今日に望んでおります。

 

前置きはこれくらいにして、私と大阪国際女子マラソンとの『運命』についてちょいと書かせていただきます。

(とは言っても自分で勝手に思ってるだけですけどね。)

 

私が所属する“扇町電波商会”ことKテレに入社したのは1992年。ウチの会社ではいつもマラソンの際に『社内応援』と称する動員制度がありまして、たいてい若い独身社員や“無類のマラソン好き”ベテラン社員さん達が、総務部の「召集令状」によって集められ、主に沿道警備のお手伝いをしております。

ご他聞に漏れず私も入社2年目(94年大会)まではペラペラの黄色いジャンパーと黄色い帽子(もちろん大会マーク入り)それに軍手を支給され淀屋橋の勧銀(現・みずほ)前あたりで沿道に立っていました。あの辺りはワンウェイなので実際警備する時間は短いんですが、日当たりがあまり良くなくて結構寒いんですよね。だから何か参加してる感はあるものの、ひたすら“寒かった”という印象の方が強いです

 

んでもって翌95年、皆さんの記憶も新しい阪神・淡路大震災の影響で唯一の中止となった年になってしまいましたが、当然年内から準備をしていました。そして中継スタッフ用に作られたグランドコートはそのまま震災報道のスタッフへと贈られたのですが、何と私はその“幻の”95年大会グランドコートに袖を通すことになったのです

 

もともと競技こそ変わったものの、大学出るまで「体育会系一筋」さんだったので、就職も何かスポーツに関わる仕事がしたい!との理由でマスコミを選び、運よく今の会社に潜り込んだのですが、希望はするものの入社以来仕事は「営業一筋」(「沿道警備」はみどー筋)。
しかもいきなり営業の神戸支局というブランチに配属となったため、右も左も分からないまま神戸の街をさまよっていました。

 

で、地震

 

そんな中で営業活動は到底無理となり、会社からでた指令は「報道応援」で神戸へ入れとの事。そこであの“幻のグランドコート”と出会うわけです。今でも大事に箪笥の中で防虫剤のニオイをさせながら眠っていることでしょう。

 

まだ終わりませんよ、『第9』より長いかもしれませんね(笑)。

 

2年後。また「召集令状」が届きました。97年大会のときです。

今度は「沿道警備」ではなく、「スポーツ応援」でした。入社以来の希望が、ほんのわずかの時間ですがかなうことになったのです。

いやぁ嬉しかったっスねぇ。結構舞上がりました、当時は。

 

割り当てられた任務は『長居FD(フロアディレクター)』。各チームの監督・コーチの動向を常に監視し、必要な時にカメラを誘導したりするんですが、要はフィールド最先端での雑用全般。それでも本当に楽しかったし、初めてインカム(よくテレビで見るイヤホンとマイクがセットになってるやつです)を付けた時の込み上げる感動は今でも忘れません。

 

この大会はQちゃんこと高橋尚子選手が初めてマラソンを走った大会ですが、女王・ドーレにバルセロナ金メダルのエゴロワや原(富士銀行・当時)をはじめとする日本人選手がどこまで戦えるのか!?というレースでした。

 

結果ドーレが額面どおりの強さを見せ連覇、2位には原が入りQちゃんは7位入賞。当時のQちゃんはちょっと華奢でボーッシュな印象でしたが、同じくこのレースでマラソンデビューした選手がいたのです。

その選手は資生堂の野村さん結果は5位入賞で、FDをしながら「何か資生堂さんだけあってキレイな人やけど結構エエ成績なんやなぁ。」と妙に印象に残ってたのです。

 

時は流れて9年後。

 

<その間00年~02年の3大会では、立場を変えてマラソンに参加させていただきました。それは今また同じ仕事をしている、大会運営サイドの営業担当として。この辺りを書き出すと枚挙に暇が無いので、タダでさえ長くなっているのもあり割愛します。>

 

私は東京支社で営業デスクをしていました。

スポットデスクという番組と番組の間とかいろんなところに流れる15秒(主に)のCMを、どこに入れるのがいいのかを考えるプランナーです(他にも色んな仕事してましたが)。

その担当しているクライアントの中に資生堂さんがあり、渉外担当の後輩と一緒に仕事以外でも非常に仲良くしていただきました。

 

そんなある日。

渉外担当(O島氏)から「東京マラソン出ませんか?」と誘われ、アキレス腱断裂以降本格的なロードレースには怖くて出れない(因みに最後に参加したのは現事務局メンバーが運営していたけいはんなロードでした)日々が続いていた私も一念発起、チャレンジすることにしたのです。

ただ生半可なことではフルを走ることは出来ません。ちゃんとした人に教えを乞いながらトレーニングしましょうという大義名分で、なぜが名門・資生堂ランニングクラブとのメシ会が開催されました。仕事で若干遅れて行ったんですけど、そこには何と!9年前に長居でお会いしたあの方がいらっしゃるじゃないですか!!

 

そう、野村選手ですすでに現役は引退されてましたが、ちょっと感情の高ぶりを覚えた私は、震える手で名刺交換し、当時長居でFDやってて凄く印象に残ったんです…てなことを口走ってしまいました。

でも野村さんはイヤな顔せず逆にその大会で5位入賞まで覚えていた私の記憶にビックリされてました。

 

いやぁ『運命』を感じますよね。えっ?そうでもない?お前だけ??

 

それより4年ぶりに復帰してまたお手伝いさせていただくんですが、非常に事務局メンバーの皆さんによくしていただき、準構成員でしかない私も凄く仕事がはかどっています。

 

これだけ書いて置きながらスポンサー周りのお話がほとんど出てこなかったですが、それはレース当日のお楽しみと言う事で。

 

ちょうどあとひと月

 

当日はハイビジョンテレビでデータ放送を楽しんだり、ワンセグも見ながらラジオの中継を、産経新聞を広げてご覧下さい。

 

って出来るかっ!というお叱りもなく・・・。

約束は守りました

初めて登場しました自主整理担当のバイク乗りのB野です。

なぜか事務局版「こち亀」の本田さんに例えられたりしてますが、バイク

に乗ってもあんなに豹変したりしません


で、昨日の「重大発表」に話しがでましたケーキなんですけ
ど、ちゃんと買いに行ってきました!昼休みに。3時頃でしたけど…

大体普段ほとんど甘い物を食べないのにケーキを買いに行くにも何処

にどんな店があるのかも分からず、K部長がそういう話に詳しいという

ので場所を伺ってやっとでしたけど…。



さてマラソン事務局が開局してから早2ヶ月。

もーホンマにあっちゅーまに過ぎてしまいました。で、今も

相変わらず事務局の中で気分だけはバタバタしながら仕事はなかなか

進んでいないとゆー非常にヤバイ状況に陥ってしまい、この調

子では大晦日もお正月も無くなりそうで冷や汗タラタラです。



大会開催まであと1ヶ月。来年1月28日(日)はみなさん是非沿道

またはテレビ、ラジオの前で応援を

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します。
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